怒られないで済む方法

なぜ私だけ!同じことをしても怒られるあなたへ

きついストレスを受けたカラダに効くものは

3交替勤務の不規則な生活

 

仕事でしでかしてきつい叱責を受けたことによるストレス

 

57歳の年齢による慢性的な体調不良

 

このようないくつかの要因で、

胃腸を痛めてしまったようだ。

 

症状としては、

帰宅してからの下痢。

トイレに10回くらい通う始末。

下腹が冷えてるのかと思いきや

冷たくない。

腹を冷やしたわけではなさそうだ。

 

正露丸を飲んで寝るが、1時間おきに

トイレに駆け込む。

 

ほぼ、1時間おきにトイレに駆け込み

一睡も出来なかった。

 

それに加えて

胃袋もキリキリ痛む。

これは日々の不摂生がたたったようだ。

 

具体的には

酒の飲みすぎと、食べ過ぎ 。

コーヒーの飲みすぎ。

 

それに加え、昼夜問わず、

不規則な3交替の仕事で、

睡眠、食事も不規則 。

 

仕事を変わらない限り、治らないかもしれないと思っている。

 

このような時、お酒はもちろん、

食事も欲しくない。

 

でも、なにかお腹に入れねば。

 

こんな時、口に出来た唯一の物は

白湯だった。

 

お茶だったら、胃に来る気がして受け付けないが

白湯は何故か優しく、胃袋に入る。

何となく、胃袋がほんわか暖かい。

 

下痢をしているので

いい水分補給にもなっているようだ。

 

眠れないので、布団の中で静かに横になり

トイレと白湯の補給をしているうちに

だんだん体が楽になってきた。

 

会社で受けたきつい叱責のダメージも

薄らいできた感じがする。

 

朝方、明るくなり始めた頃、

少し眠くなってきた。

 

白湯は癒しの効果もありそうだ。

ケガで休業!妻に怒られるのは何日目

ケガで休業!妻はいつ怒り出すか

 

捻挫で松葉杖3週間休業

不運なことに仕事の帰り道、捻挫をして

松葉杖の体になってしまいました。

二分靭帯損傷。ギブスが外せるまで3週間かかります。

 

当分の間休業。休業手当は出るものの、収入は激減。

来月のピンチは目に見えてます。

 

今のところ妻は優しい!

ありがたいことです。

しかし、この寛容な優しい妻なのですが、いつまでも優しいわけがありません。

それは過去に実績があるからなのです。

 

今回はケガなのですが、2012年失業したときに、大変な経験をしているからです。

 

過去のトラウマ2012年失業した時のこと

 

2012年突然の退職

今から10年前の2012年5月、僕が46歳のころ、突然会社を辞めてきました。

今でいう、パワハラにあい、売り言葉に買い言葉。突然会社を辞めたと

妻に告げたのです。

辞め方が悪かったので、妻に何を言われるかとびくびくして帰宅。

しかし思いのほか妻は好意的でした。

怒られると思ったのに・・。

 

というのも、以前にもブラック企業的な会社で働いていた時、心も体もボロボロになっていたことがあり、今回も似たような状況であったこと。

それに僕が理由なく辞める人間ではないことを信じてくれていることがあったのかもしれません。

そして、今までは、ブランクなく次の仕事を決めていたため、今回も気楽に考えてくれていたからかもしれません。

 

優しかったのは退職1か月間

退職して1か月間は、有休消化中。

正式にはまだ、辞めた会社に籍はありました。

次の月まで給料は出るわけです。

 

 

当然のことながら、僕は当時46歳の中高年、就職は大変という自覚はありました。

早速、ハローワークに行き登録。

失業手当は「自己都合退職」のためすぐにはもらえません。

就職活動も始めました。

ハローワークで紹介してもらう会社の面接を受ける日々は続きました。

 

しかし、ハローワークに紹介してもらえるのは週に2社まで。

この2社の面接結果が出るまで次を紹介してもらえないのです。

これが一番堪えました。

 

退職後1週間、2週間、3週間・・・・

当然といえば当然なのですが、面接は断られてばかり。中高年ですからね。

面接時から、ある程度合否がわかるような面接官の態度。

事務的に淡々とという会社や、圧迫面接的な会社、馬鹿じゃないのって態度を取る会社。いろいろ精神的にも追い込まれます。

それでも妻は寛容。優しい妻でした。

 

それから、受ける会社のハードルを下げたり、ブラック的な会社とわかるような会社も受けましたが全滅。どんどん気分も落ち込みます。

それでも妻のやさしさには支えられました。

 

退職1か月後妻豹変!

就職活動の間を縫って、バイトもしまくりました。

生活費のために。

主にフルキャストなどの日雇い派遣

工場派遣軽作業、宅配業者のピッキング、引っ越し、

運送業の配送補助、ホテルの宴会会場のウェイター。

 

週5日は入ってましたが、時給は900~950円が主なので

週給4~5万円程度。もらったらすぐに妻に渡していました。

しかし、たかがバイト。

月給に換算しても17万くらいが限界。

 

そうしてる間にも面接は落ちまくり。

1か月が過ぎたころ、ついに妻の怒りが爆発。

 

「どうするの?生活」

「就職大丈夫なの」

 

金の切れ目が縁の切れ目とばかり。

愛があればお金はいらないという幻想が崩れた瞬間でした。

 

いくらバイトで稼ごうと

いくら洗濯、掃除など家事をしようと

待遇は変わらない。

 

離婚してもおかしくない状況でした。

 

あれから10年、無事今のややブラックっぽい職場で

少ないながら安定した収入を得ていますので、無事夫婦円満

過ごせていることに感謝です。

 

2023年今回は休業10日目

今回は失業しているわけではないので、

全額ではないけど傷病手当等で補填があるので前回とは状況は違います。

 

「優しい妻」のまま1週間は過ごしていましたが10日目にとうとうその日が来ました。

部屋が片付いてないことに怒り出し、風呂も沸かせてない、洗濯物たたんでないこと

すべて指摘されました。

 

不用意に口答えしてしまったのが致命傷。

 

けんかになりました。

僕も自由に動けないストレス、10日間部屋にこもりっきりのストレスもあり、

いわれたことにいちいち反論したのがいけなかったのでしょう。

 

けんかといっても一方的にやられていたけんかなんですけどね。

 

まとめ

優しい人=普段不満を言わないでがまんしている人
怒らせない2つの対策

妻は働いています。

そのため仕事上のストレスもあります。

元気な時は仕事上のストレスを愚痴として聞いてもらうことで、ストレス発散していた

様です。

それを僕も思うように動けないストレスがあったために、逆らってみたくなったのです。逆らったらどのような結果になるかわからないのに逆らってしまいました。

優しい人というのは普段不満を言わないでがまんしている人。

それを忘れてしまうとき、突如爆発します。

普段から、

不満を小出しに爆発させること。

自分でできることをやらないで甘えすぎないこと。

この2点は特に気を付けないといけません。

 

金の切れ目は縁の切れ目を片時も忘れないこと

女性、特に奥さんの場合は普段仲良くても、収入がなくなった場合、限界が来ると

容赦ないということを忘れないことです。

けんかだけではすみません。いとも簡単に家庭崩壊するんだと身をもって体験することになりました。(これは失業した場合限定です)

離婚で幸せが崩れるのは芸能人だけではありません。

会社を辞めて転職する場合、くれぐれも慎重に!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒られ続けるオッサンの半生と反省

50代オッサン

怒られ続ける人生

 

筆者は1966年生まれの56歳。

工場勤務のいいオッサンです。

 

仕事人人生も最終版だと言うのに

よく人に怒られます。

 

よくベテランの俳優さんとかが

「この歳になると叱ってくれる人がいなくてねー.....」

と言われているのを聞いて 、羨ましく思ったりします。

 

古くは小学生から、同じことをしても

私だけ怒られるということを繰り返してきた半生を振り返って見たいと思います。

 

小学生時代

お兄ちゃんなんだから我慢しなさい!

世の中のお兄ちゃん 、お姉ちゃん。

年長で生まれて来てしまったあなたなら

わかっていただけるはず。

 

弟が悪さをして親に見つかってしまった時

まず呼ばれて怒られるのはお兄ちゃんである私。

 

「これは弟がやったことだよ」

と事実をいっても

 

嘘つくな

言い訳するな

 

とまず怒られる。

弟を呼んで事情聴取しても、

たいてい弟は僕じゃないと嘘をつく。

 

それ見た事かと弟の方を持つ。

あまりに理不尽。

 

嘘をついた弟を泣かせる。

また怒られる。

 

子供の時はこの

地獄の無限ループ!

 

たとえ弟の嘘がバレても

「お兄ちゃんだから我慢しなさい!」

のトドメの一発。

 

あまりの理不尽さに逆らう気力も萎えることに。

 

歳を取っても怒られ続ける人生の根っこは

こんな幼少期にあったのかも。

 

 

中学校 、高校時代

ぐうたらでダメダメな

怒られボーイ

 

勉強は嫌いではなかったが

宿題はキライ。

 

特に嫌いな教科の宿題は!

 

英語と数学は嫌いだった。

宿題もよくサボった。

 

夏休みの宿題も

夏の甲子園が終わった頃からようやく

取り掛かるのだ。

好きな社会科や理科の宿題は7月中に

終わっているにも関わらずだ。

 

どうやら私は危機がせ迫って来ないと

やる気にならないようだ。

 

甲子園の決勝が終わると、

夏休みも10日を切る。

 

急に日が暮れるのも早くなる。

 

理科や社会科と違って

宿題の量も多すぎる。

 

苦手だから、ペースも上がらない。

ストレスが溜まる

 

疲れたのでちょっと休憩。

 

気分転換の時間が楽しすぎてあっという間に夕暮れ。

 

夜、宿題をやろうとすると、

早く寝ろ!

と親に怒られる。

 

宿題だからと言うと

なぜ早くからやらない!

とさらに怒られる。

 

ふてて寝る。

明日こそは早く起きてやろう!

と思うのだが

結局毎日この繰り返し。

 

そして迎えた8/31

夏休み最終日。

未完成のまま、終わる。

 

人生終わった....

 

迎えた9月1日始業式。

宿題提出。

地獄はまだ来ない。

 

提出物は

工作、自由研究、習字、図画。

 

突貫工事で仕上げたアイテム。

出来が悪くても提出すればOK!

 

問題は英語。

 

恐怖の9月4日初授業で

宿題のプリントを使った英語の時間。

地獄でした。

 

英語の課題を一人一人に当てて

発表させられるのだ。

 

当たらないように

祈る気持ちで

先生と目を合わせない。

 

でも、

いくら祈ったって当たるものは当たる。

 

名前を呼ばれる。

元気よく返事して立って答える。

 

「わかりません」

 

やってない所が当たったのだから

答えられるわけは無い。

 

しかしそれだけで許してくれる先生

ではない。

 

「ちょっと見せてみろ!」

 

恐怖!!

 

「なんだやってないじゃないか」

 

みんなの前で恥ずかしめの刑。

 

それもくどくど長時間。

 

結局、授業が終わるまで、立ったまま。

 

辛い思い出でした。

 

私が悪いんですけどね

 

ぐうたらな性格!

 

怒られやすい原因があるのでしょう。

あれから鍛えられたものの

完全には

今も治ってないかも。

 

 

もうすぐ60代!考えていかなきゃ

 

人生はやっぱり

穏やかに暮らしたい!

 

怒られることなく楽しく

生きていきたい。

 

そのためにはどうするか?

このブログの中で

かんがえていこうと思いますので

おつきあい下さい。